つむりやさんのご投稿で、自分が荻野屋さんのお茶事情を何も知らないまま完全スルーしていたことに気付きました😱
横川駅のお茶容器🍵について考えてみますに…、そもそも論として、ドンピシャな「ブツ」がないかも❓ 地理的には、明治から汽車土瓶の一大生産地だった益子焼が使われるのが自然ですが、「横川」と書かれた戦前の土瓶を今まで見たことがありません。アイコン写真奥のような、無記載の汎用品が使われていたのでしょうか🤔
さらに、お茶が写っている写真自体がまたレアで、心当たりは下のものくらい。こちらは中身がしっかり入ったポリ茶瓶のようで、横川での購入品と思いたいですけど、100%断定できない状況なのが残念です💦

かなり遠い昔のことになりますが、昭和30年代〜40年代初頭の荻野屋さんのお茶事情をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてくださいませ🙇
ちなみにポリ茶瓶の登場は昭和32年頃、軽くて割れず低コストというメリットから、昭和40年代には全国的に主流化したようです。
※画像は「荻野屋 東京」の「峠の釜めし誕生秘話」より
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投稿を表示荻野屋さんのオリジナル汽車土瓶は「リゾート列車 四季島」のセットに入ってた物しか現存してないですし💦
お釜まで作ってるから、当時から陶器の記者土瓶があってもおかしくはないですよね🤔
むしろ、あって欲しいです😄
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投稿を表示自分が子供の頃に乗っていた昭和40年代では、記憶の限りでは、横川駅ではすでにポリ容器だったような気がします。
汽車土瓶のお茶は、結構早い時期にポリ容器に切り替わってしまったのですかねぇ。
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投稿を表示ご投稿ありがとうございます。窯元に聞いてみますね。